プロフィール
こんにちは、染谷です。
今回は僕のこれまでの人生を振り返ってみたいと思います。
僕自身がどのような人生を経て、どのような想いをもち、何をいま皆さんに伝えたいと思っているのか。少しでもわかってもらえたら嬉しいです。
染谷充紀の最新情報
- 2022年に国土交通省・経済産業省・農林水産省 厚生労働省 認可の協同組合 Masters に所属しました
- 2023年に町田商工会議所の会員になりました
- 最新の 染谷の社会貢献活動はこちら
Epi.1 全ての原点は「ノストラダムスの大予言」
僕は東京都東村山市で、5人家族三人兄弟の一番上として生まれ育ちました。
うちは共働き家庭で、父は機械の設計や製作、修理などをする仕事。母は公立の保育士で、幼稚園だけでなく市役所で働いていることもありました。
性格は2人とも真面目で正義感が強かったかな?でも父は自分で切り開いていくタイプで、母はどちらかというといわゆる常識的というか、固いところがあるかなという感じでした。あとは両親が仕事から帰ってくるまでの間、おじいちゃんおばあちゃんにはたくさんお世話になっていましたね。
そんな家庭で育ってきた僕ですが、小学校5年生の時に人生を決める出来事がありました。
それが「ノストラダムスの大予言」。ノストラダムスの大予言、みなさんご存知ですよね?1999年に恐怖の大王がやってきて、人類が滅びるっていうあれです。まあそれ以外にもいろいろ書いてあるんですけど。
ある日家に帰ったら、そのノストラダムスの大予言の本が家のリビングに落っこちてたんですよ。そして何気なく読んでしまったんです。
で、子どもなのでその内容を信じてしまって、、、「やばい、地球滅びるじゃん!」って。そしてその時にはじめて「自分は死ぬ存在なんだ」ってことに気づいたんですね。
それで「じゃあ死ぬってなんだろう?」ってなったわけです。
で、そこから、さらにいろいろ考えました。
たとえば時間や宇宙という存在って無限だよね、とかいろんなことを考えて、自分の頭では理解できないって思ったんですよ。生きるとか死ぬってこと自体が。
「生きることも死ぬことも理解できない…超怖い!」ってなって、親に相談したりして、もう2週間くらい考えに考えました。
その結果、もう考えることは諦めて「どうせ死ぬなら楽しく生きよう!」って決めたんです。
「どうせいつか死ぬんだから、早く死んでも遅く死んでも同じ。だけど、今生きていかなきゃいけない。どうせ生きているんだったら、楽しい方がいいよね。人生って意味があるかないかとかもよくわからないし、ただ僕は楽しく生きるってことだけは決めよう」と。もう考えても生とか死の理由はわからないから。この生死のあり方や宇宙の真理、時間やものごとの理みたいなものについては大人になってもいまだに考えているところではあります。
いずれにせよ、ノストラダムスの大予言の本が部屋に落っこちてて、読んで、ビビって、楽しく生きるって決めただけだけど、今もここから変わっていません。
小学校5年生のこの体験が、僕の人生の原点であり、答えであると思います。
Epi.2 ゆるゆるな学生時代を過ごす
そんな小学5年生の体験がある一方で、学生時代はほんとにラクしていて、なんなら麻雀ばっかりしてました(苦笑)。アルバイトをはじめてもすぐやめちゃうみたいなしょうもない感じで(笑)。コンビニのご飯を炊く工場でひたすら米を炊いてるバイトとかもしましたけど…おもちゃ屋さんでアルバイトした時は、勤務中にガム噛んでいておばちゃんに叱られて。ガムがダメなら飴ならどうだって、ガムを捨てて飴に取り替えて…なんてこともありましたね(苦笑)。
ただゆるゆると過ごしていただけなので、当時の友人に「僕ってどんな人?」って聞いたら、「麻雀強かった」って感想しか出てこないと思います。覚えてから1年くらい負けなしだったんですよ。
麻雀って心理戦でもあるので、「染谷さんってポーカーフェイスですねとか表情を出さないですよね」って言われるのは、もしかしたらこんなところに原点があるのかもしれないですね!(笑)
高校はとても自由な校風の学校でした。中学までは決まりやルールも好きというか…それなりに守る方だったんですけどね。自由に高校生活を過ごしていくなかで、大事なのは本質であって、ルールとかは大事だけどそんなに大事じゃないなとか。それが全てじゃない、常識って間違いだなってことに気づき始めた時期でもありました。あまり勉強する気もなかったので大学受験もしなかったし、高校の後も働きたくなかったので、2年間専門学校に進みました。
Epi.3 売上をあげる才能があった!10ヶ月でマネージャーに。
そんな学生時代を経て、専門学校を卒業してしまったので観念して就職します。で、就職先はゲーム屋さんでした。なんでゲーム屋さんかっていうと、、、ラクそうじゃないですか…(苦笑)。その会社が2店舗目を作る時の募集で、初任給も13万5000円くらいしかなくて、社会保障もまともになくて…みたいな所に就職をしました。
そんな感じで、就職したのですが、実は入社後すぐに売上をあげることができて、10ヶ月でマネージャーになりました。
これはほんとに運が良くて、学生時代までは自分の能力なんて知らないし、気づけなかったんですよね。別に勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでも、喋りが上手なわけでも…ぜんぜん何も持ってなくて。でもたまたま「売上をあげる」っていう才能があったみたいです。これがハタチのころです。
マネージャーになったあと、人事異動で他の店舗に行きましたが、そこでも前年対比179%とかをすぐ出しました。前年対比179%っていうのは、コンサルとかだとありますけど、正直、店舗だとなかなかないことなんですよね。
自分で才能があったと言いましたけど、売上をあげるために、実際にはかなりいろんなことをやりましたよ。お店の外側、接客、店内の陳列の工夫など、やれることはすべて。当時はPOSレジを使っていたので、毎日勝手にカタカタとデータを出して分析したりもしました。
僕がここまで売上をあげることができたのは、おそらくですが、僕自身が「ゲームが好きで就職したわけじゃなかったから」だと思います。大体の人たちは「ゲームが好きだからゲーム屋さんに就職している」んですよね。ゲームが好きってことはそのゲームの価値がわかってるってこと。でも僕は好きじゃないから価値がわからないんです。
当時はゲーム機本体の種類も多いし有名な人気のソフトとかもたくさんありました。ゲームがすごい売れている時代だったので、とりあえず置いてるだけでも売れるんですね。でも僕は置いてるだけでは売れるって思えなかった。なぜなら価値がわからないから。だからどういう風にしたら価値があるように見せられるか、自分でも買いたいと思えるような見せ方にしたらもっと売れるんじゃないかって、そういう工夫をしたんですね。
あとは僕は仕事ができたので、すぐ持っている仕事が終わっちゃうんです。。だから他の仕事でもしてなきゃ暇なんで、暇つぶしに売上あげる方法を考えるか、みたいな感じでもありました。
思えば、このあとも20代の10年間は一切マーケティングを勉強しないで、とにかく自分の頭で考えて10,000個くらい工夫を繰り返して成果を出していました。でも、30歳のときに「サスガに本でも読むか」ってことで3年間でビジネス書500冊(うちマーケティング系300冊)くらいは一応読みましたけどね。
Epi.4 26歳で事業統括本部長に!でもストレスバリバリ…
そうやって仕事を続けていって、26歳の時には全店舗の事業統括本部長になりました。当時は6店舗くらいあったと思います。社長に「お前の方がうまいから全部やって」、っていわれて。。マーケティング・マネジメントは全部僕。実質、会社のナンバー2のポジションですね。
でもこのとき、実は「仕事を楽しくやろう!」じゃなくて、かなり頑張ってやってしまっていました。部下が100人くらいいたので、「彼らの人生背負っている…!」みたいな責任感や使命感もあって、ものすごく頑張ってたんですね。
どのくらい頑張っちゃってたかというと、26歳から5年くらい、毎年連続で十二指腸潰瘍になっていたほど。要はストレスバリバリで生きていたんですよね。
それで自分の身体がおかしくなっているし、周りのスタッフを見ても全然楽しそうじゃないし…これはなんか違うなって思ったわけです。何かやり方を変えないとと。
そのときに思い出したんですよね。
「そういえば、ノストラダムスの大予言を読んだ時に、楽しく生きようって決めたじゃん、自分。」って。
それで仕事を頑張っちゃうのではなくて、どういう風に楽しくやりながら売上をあげるかということにトライし始めたんです。3年くらいかかりましたけど、その形ができていきました。
どんな感じに変えていったかというと、「楽しくやらなきゃ意味ないぞ!」と。ゲーム屋さんはそもそもエンターテイメントなものを売っているので、商品を売るだけでなくお店自体をエンターテイメントにしていこうという考え方をしたんです。もうね、「ライバルはディズニーランドだ!」みたいな感じで。
お客さんには買わなくてもいいから、「お店に来た時点でワクワクしてもらう」とか、「楽しさを感じてもらおう」っていう風に日々お店を作っていきました。なのでスタッフも、イヤイヤ仕事していたっていう感じから、高校や大学の文化祭みたいなノリに変わっていきました。「とにかく楽しいことをやろう!」お店の中もとにかく「ボケろボケろ!」っていってね。
たとえばゲームのお試し台がが壊れたときに「故障中」の貼り紙を貼るだけじゃ、事実のままでツマラナイじゃないですか。だったら「冬眠中」とか「中身は外出しています」とか、表現は変えられますよね。そういうところでボケてました。そうしたら、いちいち面白いじゃないですか。そんなことを本当にたくさんやってましたよ。
こういった遊び心は超重要で、売上が下がった店舗があったら「売上が下がるのはつまらないからだよ。」って伝えていました。「面白くしよう!とにかく面白くしよう!」って。
というのも、ゲームというのは自分たちで勝手に新しく開発できませんし、しかも家電量販店とかでは安く売ってますよね。だから、ここに勝たなきゃいけないってなったらどうするか?安く売っても利益が減るだけ。なら、何か他の価値をつけるしかないじゃないですか。その価値が「お店をエンターテイメント化する」っていうことなんです。
同じ商品を有名なお店よりも高く売るのは、僕が考える中で一番難しいです。有名な量販店に勝つには、「お店の価値」と「人の価値」をつけるしかありません。
この方法で進めていけるようになって、頑張っちゃっていた時よりも売上は上がりました。
さらにスタッフさんの方も、もともと普通のお客さんだった人がファンになって、ファンがアルバイトになって、最後は社員になってくれるという好循環ができていきました。だからアルバイト募集をしなくても入社してくれるし、募集したらいっぱい来ちゃう。入社の時も、ここが面白いから!っていう理由で入ってくる。面白いことが好きな人が入るので、楽しんで面白いことをしてくれるし、毎日楽しく働いてもらえる。それで会社のことも好きになってくれます。
このいいスパイラルをつくって、想いを波紋のように広げていく形を、いま僕は「波紋型マネジメント」と呼んでいます。
これが30歳過ぎに完成したので、あとはこの方法でチームを回していきました。
この頃には会社が多角経営でいろんなことを始めていたので、ゲーム屋さんだけでなく、漫画喫茶や葬儀屋さん、家系のラーメン屋さんのマネジメントもやりました。ラーメン屋さんは販促を手がけたりもして。こんな感じで地域のビジネスもやっていましたし、オンラインでもビジネスをやっていたので、こういった実体験をもっていろんな業種の方へ対応できることも、僕の強みの一つだと思っています。
Epi.5 「貢献」できる仕事がしたい…独立準備開始
「波紋型マネジメント」が完成してうまく回っていって…成果が出るので楽しいといえば楽しかったですが、僕は型や仕組みを作ることが好きで。維持していくのは嫌いなので、次第に楽しくなくなってきました。あとはいろいろ考えている中で、売上や利益よりも「貢献」できる仕事がしたいなーと考え始めていたのです。
そしてちょうど、この後どうしていくか、人生を考えているときに、雑誌「商業界」の編集長である笹井さんと出会いました。「記事に困った時があったら協力しますよ」って、僕がやっていたことを画像などにまとめて送ったら、「面白いね!」って取材に来てくれて。マネジメントとマーケティングの話で載せていただいたんですが、実は「波紋型マネジメント」っていうのは、このとき笹井編集長が名付けてくれたものをそのまま使わせてもらっています。それから特集などに載り始めて、4年間で5回くらい載せてもらいました。
さらに独立も視野に入れつつ、心理学を学びに行きました。心理学を学ぼうと決めたのは、いままでの事例やノウハウを活かしてコンサルとしてデビューするとしたら、心理学的な会話やスキルを身につける必要があると思ったからです。今まで会社では、部下だから自分の話を聞いてくれていたけど、いち経営者に話を聞いてもらうのは難しいのではと。
そのためには事例やノウハウだけでなく、人に耳を傾けてもらえるような会話のスキルを身につけるために、心理学を足さねばと思って学び始めました。そこでワークやセッションなどを重ねるうち、より「貢献したい」という気持ちが大きくなり、ますます独立したくなりました。会社をすぐに辞めるつもりはなかったのですが、「今年しかない!」という気持ちになってしまい、すぐに会社を辞めることを決めました。
Epi.6 独立ー…法人コンサルを経て、個人コンサルへ。
結局、1年かけて引き継ぎをして、12月31日に満を持して、いままで働いていた会社を退職しました。
そして法人コンサルと波紋型マネジメントの塾を始めました。
法人コンサルはもともと繋がりがあった企業からお話しして、行きますよという感じで、人脈から繋いでいってそれなりに軌道にのっていきました。
でも法人コンサルで大きな会社のお手伝いをしていると、「前に働いていた会社でやっていたことと変わらないな…」ということを感じるようになりました。波紋型マネジメントの方を中心にやりたいと思っていましたが、マネジメントが必要になると結局法人とのお仕事になってくるので、なかなか難しいよなと。
それで、「やっぱり自分としては、貢献心が強い個人の方を応援したい!」と思って、個人コンサルをやるためにリスタートを切ろうと決めました。
Epi.7 リスタートして、ゼロからのスタート。でも、そのおかげで…
リスタートしたときは、コンサル中の会社はありましたが、何ヶ月も新規をとっていなかったので次第に売上もゼロになって…。このまま仕事なくなっちゃうかもね…と思って、さすがにビビりました(笑)。
でも、リストゼロから個人コンサルをはじめて、最初はSNSで地道に開拓を進めていって、その後4ヶ月で1,000万くらい売ることができました。
今はマーケティング塾という形でやっていますが、リスタートした当時はマーケティングを教える個別コンサルとして活動して、そこから塾という形にしていった感じです。
その時は大変でしたけど、リスタートしたことで自分の理想の形に近づくことができましたね。いまうちのトレーナーになってくれている人とか、他にも共感者ができて、「一生お願いします!」みたいなファンの人もできてきて。いまようやく、自分がやりたいことができているなと思っています。
Epi.8 僕が「楽しく自分らしく」と繰り返す本当の意味
どうして僕が「楽しく生きていく」「自分らしくやる」って言っているかというと、僕の子どもの頃の体験が元になっているのかなって思います。
僕の両親は真面目ではあるけど、大変そうに仕事をしていたんです。親だけでなく周りの大人もそうでした。だから僕は、仕事って大変そうだし、怖いし…仕事したくないなって思って見ていたんです。これって、親が楽しく仕事してなければ、子どもは未来に絶望してしまうということですよね。
実は、僕が本当にやりたいことは、「子どもの未来をワクワクさせること」なんです。
実際自分は、周りの大人を見て未来にワクワクしていなかった。なので、大人が楽しく自分らしく仕事できるようにという部分を僕がやって、楽しそうに働く大人の姿を見た子どもたちが未来にワクワクしている社会にしたい。
これは前の会社の時から言っています。売上を中心に考えても意味ないし、無理にガツガツやっても続かないし…自分の経験から言うと、身体か心、もしくはどちらも壊すことになります。自分らしくやらないと長く続かないということは、自分でも経験則としてありますからね。
それに頑張ってやるよりも自分らしくやる方が成果を出せるっていうことを、10年以上も僕はやってきました。どうしたらそうできるのかということを知っているので、それを塾の生徒さんたちに教えていきたいなと思っています。
自動化の塾をはじめたのも、この想いが元になっています。集客を自動化した方が自由な時間を作りやすくなって、充実した時間を過ごせる可能性が高まりますよね。自動化は絶対やって!とは思っていませんが、興味がある人は最終的にはやった方がいいかなと思っています。それも売上をあげるためというよりは、より楽しく生きる確率をあげられる。それが子どもの未来につながると信じているからです。
Epi.9 染谷充紀のこれから、について
僕は今後もこの形を続けていきたい。自分でもコーチングやカウンセリング、セラピーなどをできますが、僕が直接やったところでどんなに頑張っても年間100人くらいしかフォローできないじゃないですか。
だったら、同じ想いを持った先生やその先生の先生に、想いを紡ぐ新たな「先生」を育ててもらうっていう風にやれば、貢献心の高い、いい人たちがビジネスで世の中に出ていけるし、その周りのお客さんたちも幸せになっていく。その支えになる裏側の仕組みを作ることを、僕はしたいし、いまやっています。
なので、「儲けましょう!」ではなく、世の中や周りを良くしていきたい、それで自分らしく生きていきたいっていう人、この指止まれ!って。僕は仲間探しをしているんです。
いま、僕の想いに共感してくれる人が増えていて、塾生さんはもちろんサポートしてくれる人も僕のことをわかってくれて、いいですね!って言ってくれる人が増えて。とてもいい感じになっているなと思っています。
これからも同じような気持ちをもつ、もっとたくさんの人と出会って、僕の「楽しく自分らしく」やっていく方法をお伝えできたら嬉しいです。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
「ゆるく売れる集客塾」では「楽しく自分らしく」ビジネスをする方法をお伝えしています。
先日、「2022年以降ゆるく売れる方法」について話しました。
その時の動画をこちらで公開しています。ご興味ある方はご覧くださいませ。
「想い」はあるけど、うまく形にできていないと思っている方。
今やっている方法はなんか違うと感じている方。
「2022年以降、ゆるく売れたい…」と思っている方。
ぜひご覧になってみてくださいね!
そして、最後に。株式会社LERの名称は
L・・・LOVE 愛
E・・・ENJOY 楽しさ
R・・・RIPPLE 波紋
愛と楽しさの波紋を広げて行く。
そういう意味です。
会社の名称自体が
社会貢献に直結するものである訳です。
2023年からは
「直接、子供達に接する活動」
をしています。
これは、
完全に「売上」「利益」とか
と離れた活動になります。
ボランティアになると思いますが、
まずは縁のある公立学校のお力に
何かしらの形でなれたらと思っています。
そんな、染谷の社会貢献活動はこちら